看護師は得意とする専門知識を磨き、その力や、経験で優劣をつけて自分の立ち位置をみます。
私の場合、特に専門分野は決めていません。
強いてゆうなら、日常生活の援助をすることを極めています。
でも、看護業界にはそんな専門分野を極めて学ぶ専門家は私の近くで見たことがないので、私は出る杭として打たれまくります。
(出過ぎるのが今の目標)
小児でも、高齢者でも
終末期でも、回復期でも
障害があっても、なくても
生きている限り絶えない【動き】
寝てても歩いてても
はじての動きから
最期の呼吸まで
今回は、脳性麻痺の妹、ユイに気付かされたことではないのですが…
でも、ユイと苦楽を学んで来た家族介護の経験があって見えるものもあって…ここに書きました。
看護師として学んで、経験してきたはずの、『個別性のある看護計画』について、今の私なら後輩にどうやって、指導するか、整理してみようと思いました。
それが、病院や施設で働くスタッフや、そこを利用する人やその家族に必要な教育だと思ったからです。みんな状況は違うから、答えはないけれど、考えるきっかけとして読んでいただけたらと思います。
今のやんばるの?沖縄の?日本の?悲しい現状が見えました。
2025年問題がやってくるって言ってる間に、新興感染症が気づかせてくれたと思います。
社会資源に頼ってばかりでは助からないとゆうことが。福祉制度はあっても、それを支える人や環境がないってこと。
このままで良いわけないけど
病院や施設で働く看護師や介護士、保育士
病院や施設にいる患者や利用者その家族
それぞれが気づかないと変わらない事だと思いました。

高齢者が転倒しました
腰椎圧迫骨折です
平日デイサービスを利用
夜間、休日は交代で見守る家族が敷地内にいます
以前と比べて覚束無い足取りです
でも、
手すりと杖があればふらつき無し
以前のようにトイレに行きたがります
なので、ポータブルトイレの訓練拒否
ポータブルトイレでの訓練が出来ていないので家には帰れません
夜は寝るのは遅いし、トイレ頻回なので眠剤を飲ませて寝かせています
近くのエリアはどこも、施設に空きがないのでエリアを広げて施設を探しましょう
という、事例を考えてみます。

●ご本人の問題はなんでしょう
手すりと杖があればふらつかず歩ける。
でも、トイレに行こうとしてるのに、ポータブルトイレに座るように言われる。
ポータブルトイレでやらないと認知症扱いされる。
ご本人は、トイレに行けるから、ポータブルトイレは必要ないと判断しているだけだと思われます。
私はそう評価しました。
●看護やリハビリの目標はなんのためでしょう
ポータブルトイレで排泄させること?
もともと夜型で頻尿の人を薬で寝かせて、オムツにさせること?
その目標をクリアできなかったら施設?
その人や家族が何を獲得すれば安全に安心して生活できるのでしょうか
計画の評価や、立て直しはしないのが当たり前になっているのでしょうか
●家族はどうしたいのでしょう
看護師さんや、リハビリの先生がゆうなら施設しかないか
介護って大変なんじゃない?
家では無理だよ
そうなっていませんか?
どれくらい動けるのか、どれくらいお手伝いが必要なのか、わからないまま任せちゃって大丈夫でしょうか?
地元から離れた遠くの施設で、もしも最期になってしまったとき。本人や家族がきちんと心の整理をしてお見送りができるのか。
それでもと、きちんと覚悟した決断もあります。
でも今回は違いました。

今必要なケアはやれたか
今必要な本人、家族への教育的関わりは
病院を出たあとも、継続可能なケアの提案は
先輩の前ならえケアで足りているだろうか
これまでのルーチンの流れで、必要なケアは当てはまっているの?
やれること、まだやってないよ
やれること、まだまだあるよね
子どもだろうと、お年寄りだろうと
障害があろうと、なかろうと
終末期の最期でも、回復期でも
今の問題がちゃんと整理できてるか
今必要な事を自分の立場でやれているか
誰のための答えなのか
こりゃ、色々な立場の当事者がいるけど、皆一緒に考えたいテーマだと思ったなぁ