ゴールまでの沢山の難関

セルフケアって?

「自分自身のお世話、面倒をみること」です。改めてぐーぐる先生に聞いてみたら教えてくれました。


「座る」とゆう体位も、丁寧に観察してみると、セルフケアで成立していると思うんです。


上の写真のユイをいちいち見てみてください。

「座る」を保持して自分でお世話してます。

右側に倒れていかないように、床に手をついて自分でコントロールしています。

この、コントロール…

転びそうになったら緊張を調整して、転ばないようにしたりします。緊張が強すぎる危機的状況なときには手のつく位置を変えて無理のない「座る」体位をとります。


セルフケアとは、

危険回避だと思うのです。

五感も動きの感覚もそのために使っている。


なんでこんな話をするかとゆうと…

ユイを温泉につけてやったことを思い出しました。シンプルな素晴らしい介助だったもんで(*´˘`)

この温泉の湯に浸かっている二人を見てくださいな。まったりして、柔らかい笑顔でとても介助中のシーンには見えないですよねぇ。


もちろん湯の効果もあるとは思います( ¯﹀¯ )温泉の湯は違うもんねぇ♡


でも湯の中は浮力があり、ユイが1枚目の写真のように手をつくとお尻が浮いたりしてとてもフワフワします。重力もあるけど、浮力もあるから1枚目とは状況が変わり、同じ「座る」でもセルフケアが難しくなります。

それに、体勢を崩してしまったときには、溺れるから呼吸が確保できなくなる恐怖がありますよねぇ…


そのための、介助者なんです。

セルフケアが難しいときに登場するのが介助者。

それも、呼吸が確保できなくなるかもしれないから絶対転ばしたり溺れさせたりしないようにってガッチガチに身体を捕まえたりしない。

あたかも、自分でケアができているかのように、楽な呼吸で難しいところのケアだけを手伝う。


風呂に浸かるときガッチガチに緊張して体かためてる人見たことないもん。


赤ちゃんだってそう。自分でお世話できなくて、自分の危険回避ができないから、柔らかい手で支えてあげてリラックスさせますもんね。セルフケアの援助。


ガッチガチにかためず、お互いがキツくなくて楽に呼吸ができるから笑ってられるし会話もできる。


転ぶかも、溺れるかも、かもかもでリスクを想定しておくのはもちろん大事なこと。

でも、そうなる前から身体を固めてしまっては、何かあったときに動けないし、そもそも体を固めてしまってるとゆうことは転んだり溺れるように介助していることになります。

だって、もう身体が固まってるんだから、次に出る手は動かないんだもん。溺れるよね。

これも「座る」を手伝ってくれてます。

転倒中の時でも笑えるくらい力が余ってるからセルフケアの援助が可能です。


ゴールまでね、目的を果たすまでに沢山の難関があるんですょ。

風呂に浸かるなら

縁を越えるから転倒するかもしれないから危ないとか

お湯の中ではフワフワするから溺れるかもしれないとか

抱きかかえられないからお湯から上がれなくなるんじゃないかとか


でも、ようは、ゴールは湯に浸かって、まったりすること


やいやい、できない理由は沢山出てくるんですよ。出そうと思えば。

危険予知トレーニングしてるから、我々人のお世話をするお仕事の人たちね。いっぱい出てくる。


でも、そのリスクにどのように動くとリスクじゃなくなるかは教わらないし、考えたこともないから、リスクでしかないからやらないんだよね。

リスクがあるから、これはやらないってインシデントレポート書くの。

(こうすればリスクではなくなり可能になるって書いたら合格もらえないからね、笑)


そうなってくると、湯に浸かってる意味もわからん緊張感のある時間なだけ。


とりあえず浸けた!

はぃおっけー!

…業務的(¯∇¯٥)


縁を超えるのは危ないから腰痛いけど息止めながら抱える?

いやいや、重さを移しながら一歩一歩入り込みましょうよ。


お湯の中ではフワフワしちゃうから溺れちゃう。危ない!?

では、手すりとなって、座面にもなって上げましょう。


体大きいし風呂から持ち上げられなくなるんじゃない?

持ち上げるのをやめましょう。

これも一歩一歩上へ上へあがれるよう、介助者が階段となればいい。


出来るように考えることも、これもまた無限にあるんです。キネクラネオとゆうツールで沢山の手段を考えられるんです。


目的は何か。ゴールはどこか。


たくさんの難関に出会って、「あ、リスク」って、目的から道がそれて行ったりしてないかなって思う場面があるんです。


整理整頓


誰のために

なんのために

なぜその行動をとるのか



もっとケアってシンプルなはず。


自分がするように自分でやっているかのように、その人の難しい部分をお手伝いするだけ。


手を出し過ぎたり、力を使わなきゃいけなかったりすると介助を受けている人は躊躇いや、ごめんなさいが増える。介助している方はその言葉さえ受け取りたくなくなる。

そうなると、どっちも命がけ。


人のお世話をする仕事であっても、自分を犠牲にしていい訳がない。「つらい」ってゆう感覚に気づいてセルフケアをしなきゃです。



やぱ、パーソナルレベルが大事だわ。つくづく思う。自分レベルの丁寧な学習が役に立つ( ¯﹀¯ )

自分を大事にできないと人の事も大事に出来ない。自分のお世話ができないと、人のお世話もできない。


「無理しないでね」って言葉ではゆっても無理をしなきゃいけない介助は疲弊してしまうんだよねぇ。


自分にもっと丁寧に優しく♡

そしたら

他人にももっともっと優しく♡

なれるはず。


カラダもココロも壊れてしまっては。

他人のことどーでもよくなるもんなぁ。


どーでもよくなってる時は目的から離れていきやすい。



セルフケアの援助。

ケアが迷子になりませんように。

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コメント: 6
  • #1

    ユイ (土曜日, 16 5月 2020 11:09)

    「セルフケアは危険回避をすること」「セルフケアが難しい時に介助をする」
    確かに、そういうサポートをしてもらえると介助を受ける人は動きやすくて
    とても助かります。
    リスクばかりを考えるのではなく、「目的、ゴールはどこか?」そういう視点も
    必要だと思います。
    すごく納得できる�
    投稿してくれてありがとう!

  • #2

    ニナ (土曜日, 16 5月 2020 17:20)

    ✾ユイさん
    移乗も、体位も、皮膚のケアも全部感覚が危険をお知らせしてくれて、楽になる方へセルフケアを導いてくれる。サインをくれてるんだから受け取らなきゃね。ぼーっとして見過ごして自分を犠牲にしていてはプロではないと感じたよー(¯∇¯٥)何をすべきかそのサインをキャッチして、良き方向へとゴールを決めてそこに向かって行くだけ。ね(^^)

  • #3

    サトミ ナカモト (土曜日, 16 5月 2020 21:17)

    いつも深い内容をありがとうございます。

    まるで
    その人自身がやるかのように
    足りない部分を
    (必要なだけ不足でも注ぎ過ぎもだめ)を介助できれば、
    お互いが安全で、安楽でいられますよね!

    セルフケアのお手伝いをしてもらいたい人も、お手伝いをする方も、共に健康に心地よく生きていくために、

    変化するときには、少し勇気がいるかもしれませんが、ユイさんみたいに、変わるのと変わらないのと、どっちがいいか、
    広い視野で見極められるようになっていきたいですよねー!

    って
    つくづく思いました。

    リスク回避といいながら、
    リスクの中に飛び込むのは
    恐ろしい!

  • #4

    大城凌子 (日曜日, 17 5月 2020 17:12)

    ニナさん。
    心に響きました。ありがとうございます。
    やはり自らの体験に裏付けられた言葉って説得力があるなぁと感心しながら学びました。
    コロナ禍に翻弄される中で、改めてセルフケアの大切さを実感しています。ケアが迷子にならないように…素敵ですね❣️

  • #5

    ニナ (土曜日, 23 5月 2020 07:02)

    ✾サトミ ナカモト さん
    まるでその人自身がやるかのように!です(^^)
    難しそうに捉える人も居るかもしれませんが、自分の体を丁寧に使っている人は簡単にできます。自分ご無理していないときは相手も無理ないし、自分が楽な援助がてきているときは相手も楽(^^)自分とまず対話しなければ始まりませんね♪

  • #6

    ニナ (土曜日, 23 5月 2020 07:06)

    ✾大城凌子さん
    基礎看護でお話してくれた「生きるとは動くこと、その動くを援助する私達は、生きるを援助するとゆうこと」今も心に残っています。危険回避のために動くのを阻止して守るのではなく、人間らしい動くを援助して、生きるを支える私たちの役割は誇らしいものです(^^)