ありがとうの言葉の背景を…

「ありがとう」って言葉を使うのが当たり前になるのも怖いなぁ…ってふと思ったんです。

「ありがとう」って言葉がほら。サラッとスルッと風のように言葉だけ駆け抜けてったら悲しくない?


この写真は5年前。

私が大学卒業の時に友達といった卒業旅行の写真です。もれなく、ユイがついてくるでしょ。


ユイもこの年、高校卒業を迎えていました。


大学卒業の時。私の友達も、周りの子たちと同じく、当たり前のように卒業旅行を計画していました。

でも、私は、ユイのお世話をしなくてはならないので、卒業旅行は断る気100%。

ユイは高校卒業後、春休みの間は家族でみなくてはなりませんでしたから、当然のように家族でメインの介助者となる私は卒業旅行なんて諦めてました。


でも、私の友達は諦めるってことは100%考えてもいませんでした。


「ユイちゃんも一緒に行けばいいじゃん♪」


そこからみんなが動き出しました。


空港までの車の手配。

大きな荷物に加え、ユイが車に乗るとゆうことは、車椅子も積めるだけの車でなくてはなりません。友達は親と連絡しあってくれて準備を始めていました。

飛行機の手配。

車椅子は電動でバッテリーの確認が必要です。航空会社に何度か問い合わせもしました。

飛行機の中や、車の乗り降り、トイレやお風呂。移動には介助が必要です。まだ、キネクラネオ(キネステティク・クラシック・ネオ)を知らなかった私は、持ち上げて介助をしていましたから、こんな大変な介助を看護学生の友達であっても頼むことはできませんでした。なので、背中が鉄板のように張って身体がバキバキになっても、やり遂げました。

でも、私の身体を労って友達のお母さんがこんなものも準備してくれていました。学生のお小遣いでは買えないやつです。

誤魔化しでしたが翌日にはちゃんと身体は回復していたのでまた、観光しながらの介護を頑張れました。楽しみつつ、でも介護が隣り合わせの私の身体を気遣ってくれる人がいたのはとても心強かったです。


でも、そうはいっても…

大変なんですよね…

家族で介護をするのって…


報酬があるわけでもない。

誰かに褒めてもらえるわけでもない。

「ありがとう」って言われてもなんだか流れるようで…

家族はやって当たり前…

せっかくの旅行ですら辛いと思ってしまう瞬間も…

だから、何も言わなくてもスッと声をかけてくれたり。


えぃっ!て、突然笑わせてくれたり。


そんな友達や卒業旅行に協力してくれた家族の存在がホントに有り難かった。

美味しいものにありつけて

いろんなとこ連れてってもらって

こんな買い物だって、普通に歩けてスイスイ人混み駆け抜けられたらどんなに楽か。でも、そうじゃない大変さを体験させてもらって、沢山の人に支えてもらいながら可能になっていることを有難く思うんです。当たり前には実現しないことばかりなんです。

キネクラネオを学習し、日常生活の動きや考え方をとても豊かにしてもらいました。今が楽になったからそれで良いとは思いません。


これまで沢山の難儀を体験させてもらってきました。その難儀を乗り越えるのには一人では無理でした。難儀がわかるからこそ、キネクラネオの可能性にも価値にも気づきました。難儀なあの過去がなければ有り難いことに気づきませんでした。


これまで関わってきてくれた人への恩返しを、このキネクラネオで返していきたい。


そして、同じように困っている障害当事者、その家族、その友人、教育関係者、医療関係、リハビリ等…関わる方たちの動きや考え方を豊かにするきっかけとなりたい。そう思うんです…


「ありがとう」がサラッとスルッと駆け抜けないように。


今ある当たり前さえも


当たり前にある背景に気づき感謝し合える関係性になれるように。お互いに思い合える関係性でありますように。


そんな社会の共生が成り立ちますように。


共生して、学びあえる環境を整えていきたいと思います。私が出来ることから始めていきます。