麻痺側への意識

「ユイの左手は使えないから」

そうやって、これまで使えない左手と関わってきました。

「使おうとしないから悪い」とか…

「人より使えないんだから頑張って使え」とか…


今思い返すと…

生きるのってすんげぇ、過酷ぅ

脳性麻痺のために左が麻痺側なだけに

って思えるけども


でも、あの時の本音としては、正直に…

支えていく身にもなってよ…

こんなに自分で動けなくて、お互いの、人生どーなっちゃうの?????

ってほんとにほんとに真っ暗でした。


ユイは

だんだん身体が大きくなって

だんだん動きが遅くなっていって

だんだん、ごめんねが増えて

その言葉にも嫌気が差して…


でも、キネステティク・クラシック・ネオを学習して、「出来ない」レッテル剥がしが出来るようになり、ユイの左側に意識が向くようになると、ユイの左側はなかったら困る存在になりました。 



●ユイの左手は使えない

   ➡   

 ⬆   ⬇ レッテルハガシノサギョウ

   ⬅   

◎ユイの左側には骨があって、重さを流すことができる

◎ユイの左側は筋肉が少ないからブレーキがかかりにくくて素直にゆうことを聞いてくれる

※※※相変わらず口は達者※※※


ユイは筋肉で起こっている緊張を伝えることができて、

ユイは骨に重さが流れた感覚を伝えることができる


それらをユイが伝えられなくても、介助者の私がユイのココロとカラダから緊張や重さを感じ取れるようになった時、またそれを言葉にできた時


ほんっっっとに、無限大の可能性を感じました。


使えないと思っていたユイの左側。

でも、麻痺があっても支援の仕方が分かると、今まで出来なかったことが沢山、沢山、可能になりました。


人の動きを支援すること

それは、人の生きるを支援することだと

改めてそう思うことができました。


そして、その生きる、

を支援できる能力に気づけたとき、

自分が生きることが楽になりました。


頑張らなくていい。

頑張らなくても出来るんだもん。

とゆうか、頑張らないほうがスムーズ…笑


自分のココロとカラダに余裕ができると

相手にも余裕のある関わりができる




「使えないとゆう思い込みや決めつけ」

       or

「こうやったら出来るかもしれない」


どちらの考え方がこれからの

人生を楽に楽しめるだろうか(^^)


麻痺側への意識改革。

ここから、私たちの学習は

一気に加速しました(๓´˘`๓)♡


ほら見てぇ↓↓↓↓↓

左側を使ってあげたら

座位も楽になりました。